隕石の値段
2013-02-27


隕石の値段

 

ロシアに隕石が落ちて、早速その値段が取りざたされている。ところで、ニューギニア島の沖合の島々には、クラ交換という儀礼がある。貝殻か何かで出来た首飾りなどを、数百キロメートルも離れた他の島へカヌーを漕いで届けに行く。届けられた島の人は、また別な離れた島へ届けに行くのである。

 

天候だって変わるかもしれないし、何かの拍子に海に落ちればサメに食われるかもしれない。決死の覚悟で行くのである。ところが、その首飾りなどは、ちょっと珍しいかもしれない程度の貝殻をつなげたものだけだったりする。貝自体に何か効能があるわけでもない。ただ、現地の人々にとっては必死の儀礼なのである。

 

なぜ、この話を持ってきたかというと、隕石の値段も考え方は同じだからである。隕石自体に、何か効能があるわけではない。強いて言えば希少価値くらいか。しかし、世の中に他に隕石が無いわけでない。しかし、皆なぜかそれをほしがるから値段がついている。

 

なぜ、値段がつくのだろうか?それは交換されるからである。みんなが交換したがるから価値がつく。クラ交換も、みんなが交換したがるから、貴重なものとなっている。間違っても貴重だから交換するのではない。貴重だから値段がつくのではない。交換したがるのが先にある。このことに気づいたのは、マルセル・モースである。そして「贈与論」を書いた。隕石の価値が云々されるのを見ていると、つくづくモースは正しいなあと実感してしまう。


[モノローグ]

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